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札幌地方裁判所 昭和58年(わ)480号 判決

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中七五〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中証人南部秀雄、同坂巻晴基、同工藤英夫、同妹尾和明、同渡辺伸夫、同石井芳美、同岡島孝明、同川合明、同清水かつ枝、同加藤広明、同近藤明嗣、同上ケ島由美子、同小山幸夫及び同高山勲に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中、昭和五八年八月一六日付起訴状第一記載の「被告人が、昭和五八年五月四日ころ札幌市北区北四〇条西五丁目三二八番地一五所在のホテルロイヤル朋二〇三号室において、Bに対し、覚せい剤を含有する粉末約〇・〇三グラムを無償で譲り渡した。」との点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、札幌市内の私立商業高等学校を卒業後暴力団的屋寄居成瀬一家に加入し、以来組織の一員として活動し、昭和四九年には一家名乗りを許されるようになった暴力団幹部構成員であり、昭和三七年五月恐喝、傷害等の罪により、昭和四〇年八月傷害、恐喝未遂、詐欺等の罪により、昭和四六年一一月賍物収受の罪によりそれぞれ懲役刑に処せられた後、昭和四九年七月以来覚せい剤取締法違反の罪により連続して四回服役したという前科を有し、昭和五七年一〇月最終刑の執行を終えて出所した後も覚せい剤常用者との交際を断たず、昭和五八年五月当初ころには、年若い女性を相手として、覚せい剤を与えてはそれと引き換えに性交渉を持つことに満足感を覚えていたものであるが、

第一  いずれも法定の除外事由がないのに

一  昭和五八年五月七日、札幌市西区手稲宮の沢三八五番地二六所在のホテルボルボの客室「紅華」において、柏谷こと石井芳美に対し、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶性粉末約〇・〇八グラム(昭和五八年押第二五三号の25はその一部)を譲り渡し

二  営利の目的で、同日、同ホテルの客室「ボルボ」において、岡島孝明に対し、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶性粉末約一グラムを代金三万円後払いの約束で譲り渡し

三  同日午後一一時一〇分ころ、札幌市北区北四〇条西五丁目三二八番地一五所在のホテルロイヤル朋の二〇三号室において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約〇・〇八グラムを含有する水溶液約〇・五立方センチメートルのうち約〇・二五立方センチメートルを自己の左腕部に注射し、もって覚せい剤を使用し

四  右犯行に引き続き、Aと共謀のうえ、同日午後一一時一〇分ころ、同室において、被告人が覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する前記水溶液の残量約〇・二五立方センチメートルを同女の左腕部に注射してやり、もって覚せい剤を使用し

第二  A(当時一三歳)に覚せい剤を注射したうえで同女と性交渉を持とうと考え、同女を伴って、同日午後一一時ころ前記ホテルロイヤル朋の二〇三号室に入り、同室内において、午後一一時一〇分ころ前記第一の四のとおり同女の左腕部の血管内に覚せい剤約〇・〇四グラムを含有する水溶液約〇・二五立方センチメートルを注射したところ、午後一一時四〇分ころ、同女が頭痛、胸苦しさ及び吐き気等の症状を訴え始め、翌八日午前零時五分ころには更に強く同症状を訴えるようになり、午前零時二五分ころになると被告人の問い掛けに対して正常な応答ができなくなり、ベッドに寝かせてもすぐふらふらと立ち上がることを繰り返すなどその言動にもそれまで以上に異常な点を現し始め、午前一時ころからは「熱くて死にそうだ。」などと言いながら着衣を脱ぎ捨てたり、風呂に入ると言いながら二階にある同室の窓を風呂のドアと間違えて開き、外に飛び出そうとしたり、全裸のまま陰部を被告人に向けて卑猥な言葉を口にするなど覚せい剤による幻覚症状とみられる顕著な錯乱状態を呈するに至り、午前一時四〇分ころには全裸でうつぶせに倒れたままうめき声をあげるなど、肉体的精神的健康を急速に失い、独力では正常な起居動作等をなしえないほどの重篤状態に陥ったが、その原因は、岡島、石井らが、前日、被告人から譲り受けた覚せい剤を同女にそれぞれ注射した旨を同人らから聞いていたのに加えて、更に被告人においても判示第一の四の事実を含め短時間に二度にわたり多量の覚せい剤を注射したことによるものであると認識していたのであるから、医師による専門的診察・治療を受けさせるなどして同女の生命身体の安全のために必要な保護をなすべきであったにもかかわらず、医師の診察・治療等を求めず、またホテル従業員に同女の重篤状態を知らせることもせず、同女を同室内に放置したまま、同日午前二時一五分ころ同室から立ち去り、もって扶助を要すべき病者である同女を遺棄し

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(補足説明)

第一  判示第一の一ないし四の各事実について

被告人は、当公判廷において判示第一の一ないし四の事実をすべて否認し、弁護人も、おおむね被告人の右否認の供述を前提として、「前掲(証拠の標目)欄掲記の関係各証拠はいずれも信用性がなく、結局本件においては判示第一の一ないし四の各事実についてはいずれも証明不十分であるというべきであるから被告人は無罪である。第一の二の事実については、仮に譲渡の事実が認められるとしても、被告人は無償で譲渡する意思であったから、営利の目的を認めることはできない。」旨主張するが、次のとおり右証拠の標目欄掲記の関係各証拠の信用性は十分であり、判示第一の一ないし四の事実を優に肯認することができる。

1  まず、判示第一の一の事実に関する直接証拠は、被告人の検察官に対する昭和五八年五月二三日付、同月三〇日付及び同年七月一五日付各供述調書(以下被告人の検察官に対する供述調書を単に「被告人の検面調書」ということとし、作成日付による特定は「五・二三検面調書」、「五・三〇検面調書」、「七・一五検面調書」の要領で月日を略記して付加することにより行う。)並びに第三回及び第四回公判調書中の証人石井芳美の各供述部分(以下まとめて「石井証言」という。)であるが、被告人の右各検面調書の右の点に関する供述の要旨は、「昭和五八年五月七日、知人の岡島孝明から若い女を紹介するという誘いを受け、同日午後零時三〇分ころ稼業上の弟分の石井を連れてホテルボルボに赴いたところ、同ホテルの客室『紅華』に岡島及び初対面で後で名前の分かった川合明、Aがいた。間もなく岡島と川合は同室から出て行き、そのあと自分は、石井に対し、小分けした覚せい剤を入れるための空パケを一〇個か一五個作らせたが、そのお礼の意味をも込めて、同室において同人にAと二人で使用する分として約〇・一グラム(少なくても〇・〇八グラム)の覚せい剤を(無償で)譲渡した。」というものであり、石井証言の右の点に関する供述の要旨は、「五月七日午前一一時半ぐらいに被告人方に行ったところ、後で分かった岡島という人から、どこかのホテルで待っているというような電話が被告人方にかかってきた。被告人から女を紹介してやると言われ、被告人と車でホテルボルボへ行った。着いたのは昼の一二時二〇分か二五分ぐらい、あるいは一二時半ぐらいと思う。『紅華』に入室してから、被告人から言われ、覚せい剤小分け用パケを一〇枚か一一枚作って被告人に手渡した。そのあと被告人は『ボルボ』という部屋に移ったが、その際『もしその気があるんであれば女の子を抱け。二人でやればいいんだ。』と言って約四、五回分の紙に乗せた覚せい剤をくれた。そのあと自分はその半分くらいを水溶液にし、その残量の入ったビニール袋の開け口をライターで閉じてAに無償で譲渡したが、ホテルロイヤル朋二〇三号室に遺留されていた同女の所持品の中から出て来たビニール袋入り覚せい剤〇・〇四グラムはそのときのものである。」というものである。被告人の右各検面調書及び石井証言は、いずれも十分信用に値するものである。すなわち、両者の供述内容はいずれも自然で具体性に富み、一貫しており、譲渡に至った経緯、譲渡の趣旨及び譲渡の態様など重要な点において相互にほぼ符合していて矛盾がなく、また、譲渡前後の状況についても、後記第二の二の1ないし6の事実に関する第五回公判調書中の証人岡島孝明の供述部分(以下「岡島証言」という。)、第七回公判調書中の証人川合明の供述部分(以下「川合証言」という。)など他の関係証拠ともおおむね一致しており、特に石井証言及び同人に対する判決書謄本等関係証拠によると、石井は、本件判示第一の一の事実に対応する被告人からの約〇・〇八グラムの覚せい剤の譲受け及びその半分くらいの〇・〇四グラムをAに無償で譲渡したという事実により公訴を提起され、いずれも事実を認め、昭和五八年七月一八日懲役一年六月の実刑判決を受け、これが一審で確定し、刑に服していることが認められるのであって、石井は、自己が刑事責任を問われる場面においてもあえて事実を認める供述をし、これを当公判廷においても維持していることや、同人が被告人のいわゆる稼業上の弟分という立場にありながら前記のように供述していることにかんがみるならば、石井証言の信用性は高いと言うべきである(もっとも、譲渡の量については、被告人の五・二三検面調書では約〇・三グラムとされており、石井証言にも同様若干の混乱が見受けられるものの、この程度の食い違いは、特定の日時場所における特定の者の間での譲渡の事実を認定するのに何ら妨げとなるものではないうえ、右被告人の各検面調書によると、被告人は譲渡に際し秤を使用したものではなく、被告人自身の言葉を借りるならば「目見当で」譲渡したというのであるから、譲渡量に関する右被告人の検面調書の供述内容に変遷があり、かつ、それが客観的事実とそごしていることがあるとしても、それを不自然であるということはできない。そして、司法警察員作成の実況見分調書、司法警察員工藤英夫作成の領置調書、司法警察員作成の昭和五八年五月一〇日付鑑定嘱託書謄本((北鑑第一九一号のもの))、北海道警察本部刑事部科学捜査研究所化学科技術吏員長谷川長俊作成の昭和五八年五月一六日付鑑定書((北鑑第一九一号に対するもの))及び押収してあるビニール袋入り覚せい剤結晶性粉末一袋((昭和五八年押第二五三号の25))によれば、ホテルロイヤル朋の二〇三号室内に遺留されていたAの紺色上衣の右胸ポケット内から発見された覚せい剤の重量は〇・〇四〇グラムであるところ、右被告人の各検面調書及び石井証言とも本件譲渡にかかる覚せい剤の量はその二倍程度であったとする点において一致しており、以上によれば、本件譲渡量は少なくとも約〇・〇八グラムであったと推認することができる。)。ところで、被告人の各検面調書の任意性については弁護人においてこれを争わないところ、被告人は捜査段階における取調べについて種々不満を述べているので若干検討するに、被告人には判示のとおりこれまで本件と同種の覚せい剤取締法違反の罪で数回実刑に処せられたほか多くの前科・前歴があることに徴すると、被告人は、被疑者に黙秘権が認められ、自白等自己に不利益な供述を記載した調書が証拠とされることを熟知していたとみられるところ、被告人の各検面調書によると、被告人に対しては黙秘権が告知されたうえ取調べがなされ、調書作成後はその内容を読み聞かされた後署名指印しており(特に、被告人の七・一五検面調書においては、被告人から訂正の申立てがなされ、被告人の供述どおりに記載がなされていることが認められる。)、また、証人渡辺伸夫の当公判廷における供述、同証人に対する当裁判所の尋問調書並びに司法巡査渡辺伸夫作成の昭和五八年五月九日付及び昭和六〇年三月五日付各捜査報告書等関係証拠を子細に検討しても、被告人に対する取調べに際し、捜査官による強要や利益誘導等があったことを疑わしめるような事情はいささかも認められないことに照らすと、被告人の各検面調書の任意性は十分に認められる。

以上のとおりであって、被告人の各検面調書及び石井証言は信用できない旨の弁護人の主張は採用できず(なお、弁護人の主張は、石井証言のうち、同人がホテルボルボの客室「紅華」においてAに覚せい剤を使用してはいないとする部分が、これに反する岡島証言や被告人の各検面調書と対比してたやすく信用できないとして、石井証言全体の信用性を否定しようとするもののようであるが、仮に石井証言の右部分が虚偽であるとしても、右部分は本件譲渡とは関連性の薄い事実に関する供述であるうえ、石井証言が全体としては十分措信できるものであることは前記説示のとおりであるから、Aに対する覚せい剤使用に関する供述部分の信用性が低いことのみをもって判示第一の一の事実に沿う石井証言部分を信用できないとする主張は失当というほかない。)、さらに、被告人は、「石井への本件譲渡事実はなく、逆に同日ホテルボルボに赴く前に自宅において同人から約〇・四グラムの覚せい剤を譲り受けたものである。」旨弁解するが、被告人は、第一回公判におけるいわゆる罪状認否においても、また被告人自身が石井に対して行った詳細な反対尋問においても、右の点には全く触れていないばかりか、審理が相当程度進行した後の昭和五九年一一月二日付の上申書において初めて右弁解を持ち出したものであり、しかもこれまで右弁解を裏付けるに足りる事実の立証もないこと等に照らすと、被告人の右弁解は到底採ることができない。

2  次に、判示第一の二の岡島孝明に対する営利目的による覚せい剤の譲渡の事実に関する直接証拠は、被告人の五・三〇及び七・一五各検面調書並びに岡島証言であるが、右各証拠は、いずれも石井への譲渡の後、ホテルボルボの客室「紅華」から独り同ホテルの客室「ボルボ」に移っていた被告人が、同室において、被告人らのために若い女性を連れて来ようとしてホテルから出掛けたものの、結局それを果たせずに戻り、そのことを報告に来た岡島に対し、約一グラムの覚せい剤を代金三万円後払いの約束で譲渡したというものである。そこで、右岡島証言を検討するに、同証言は、詳細かつ具体的であり、前後矛盾なく一貫しているうえ、特に、譲渡の場面について「被告人は自分の目の前で秤を出して分けてくれた。秤にかけるときに丸いつまみのついた一グラムの分銅があったので分けてもらった量は一グラムだと思った。代金については、三万円であったが、自分が今お金がないからというと、被告人が、したらあとでいいと言うので、翌日払いとすることになった。」と具体的で迫真性に富んだ体験した者でなければできないような供述をしており、右は、被告人の右各検面調書と覚せい剤の取引をどちらが言い出したかの点では相違するものの、一グラムを秤を用いて計量し、値段を三万円と決め、これを後払いの約束で取引したという重要な点では一致しているほか、後記第二の二の1、3及び5の譲渡前後の状況についての石井証言や川合証言とも矛盾していない。加えて、岡島証言及び同人に対する判決書謄本によると、岡島は被告人からの本件判示第一の二の事実に対応する被告人からの約一グラムの覚せい剤の譲受け事実を含む覚せい剤取締法違反の罪で起訴され、右譲受けの事実を認め、昭和五八年七月一二日懲役一年の実刑判決を受け、これが一審で確定して服役していることが認められるのであって、同人は、自己の公判廷においても自己の刑事責任を認める供述をし、これを当公判廷においても維持していることや、同人が被告人を罪に陥れるためあえて嘘を言わなければならないような事情は証拠上存しないこと等をも併せ考えると、岡島証言の信用性は高いと認められる。また、被告人の右各検面調書の任意性が認められることは既に述べたとおりであって、その内容は自然で具体的であって一貫しており、岡島証言、石井証言及び川合証言ともよく符合しており、十分信用に値するものである。弁護人は被告人の右各検面調書及び岡島証言のうち代金支払いの約束があったとの点は信用できないと主張するが、被告人の右検面調書や岡島証言によると、かねて岡島は被告人の稼業上の兄弟分の米坂俊彦から覚せい剤を購入していたところ、同人が昭和五八年四月ころ警察の捜査を受けたことから、同月終わりころにはその入手先は被告人のみとなり、そのことは被告人もよく承知していたこと、岡島は本件までの間、本件当日の午前中に〇・二グラムくらいを一万円で買ったことを含め、五、六回被告人から覚せい剤を買っていること、被告人と岡島とは覚せい剤取引を通じての関係にすぎないうえ、本件当日岡島は被告人に女性を世話することによってその意を迎えようとして被告人を誘い、ホテルボルボまで呼び寄せたりしたものの、結局その期待に反する結果となってしまったこと、本件譲渡は被告人又は石井の相手となる女性を捜しに外出した岡島が被告人に女性を連れて来ることができなかった旨を告げ、被告人に負い目を感じた状況下で行われたものであること等の事実を認めることができ、そうすると、被告人において岡島に覚せい剤を無償で譲渡する合理的な理由は見出しがたいのであって、弁護人の右主張は採用できない。また、被告人は、同日自宅において岡島に覚せい剤約〇・七グラムを無償で譲渡した事実ならあるがホテルボルボにおいて有償で譲渡した事実はないと弁解する。被告人は、五・三〇、六・一五及び七・一五各検面調書において同日午前中に自宅に来た岡島に対し一万円パケ一袋を渡した(有償か無償かは不明確)旨供述しているが、右弁解は、前記判示第一の一の事実に対する弁解とともに昭和五九年一一月二日付の上申書において突如持ち出されたものであり、なぜそのころになって右弁解をする気になったのかその経過について納得のできる説明がないうえ、その内容は、この日石井が来る前に手持ちの覚せい剤をすべて岡島に譲渡してしまったので自分の手元には覚せい剤がなくなったとして、その後覚せい剤を石井に譲渡することも岡島に譲渡することもできないことの根拠としようとするもののようであるが、被告人が手持ちの最後の覚せい剤を格別無償で譲渡するほどの間柄にあると思われない岡島に対し、手持ちの全量を無償で交付したというのは不自然であることに加え、被告人が、自ら岡島に対して行った反対尋問において、同人がホテルボルボの客室「ボルボ」から退室する時被告人は同人に対し「女の子を連れてホテル代もかかってるし、経費もかかっているんで三万円ぐらいの値はするけれどもお金はいらないと言っていたのではないか。」などと同室における譲渡があったことを前提としたかのような問いを発していることに照らしても、右弁解は到底信用できるものではない。そして、現物の受け渡しの際に現金の授受が伴わなかったからといってその取引が無償であるとはいえないこともちろんであって、右のとおり、譲渡に際し被告人と岡島との間に代金三万円の支払い約束ができていたと認められることのほか、小山幸夫の検察官に対する供述調書及び被告人の七・一五検面調書によると、本件覚せい剤は五月三、四日ころ被告人が小山幸夫から代金一二万円の約束で約一〇グラム仕入れたうちの一部であること、司法警察員加藤広明作成の捜索差押調書によると、被告人方から覚せい剤の密売用に供されるものとみられる天秤一式、多数のビニール袋等が発見されていることをそれぞれ認めることができ、以上によれば、被告人において、仕入れ値以上の価額で転売し、もって財産上の利益を得ることを目的としていた事実をも肯認することができる。

3  そして判示第一の三及び四の被告人及びAの覚せい剤使用の事実については、被告人が五・二三、五・三〇、六・一四、六・一五及び七・一五各検面調書(右各検面調書についてその任意性が認められることは、既に述べたとおりである。)において、Aを連れてホテルボルボからホテルロイヤル朋に行った後、同ホテル二〇三号室において、同女と二人で覚せい剤を使用した旨を一貫して体験者のみが知り得るような事実(耳かきで四杯くらい、どちらかというと結晶状のものでしたから重量としては少し重くなると思う((五・二三検面調書))。午後一一時一〇分ころ一CCの私の注射器を使い、注射液として二人分約〇・五CCを作り、まず自分で注射し、残りを女に注射してやった。自分の血管に注射したあと針の表をちり紙でふき、また針の管の中に入っている私の血を押し出し、たぶん私の血が全部出たということを見当つけてそのまま女に注射してやりました((五・三〇検面調書))。Aは注射をした後私から注射器を受け取って洗面所に行き、洗って私に返してくれました。その時の動作は、注射をする前の力の抜けただらっとした感じは受けなかったので、これでAはしゃきっとなったなと思いました((六・一五検面調書))。Aに「やるか。」と言って自分の腕に注射をするジェスチャーをして聞いたところ、Aは「うん。」と言いました((七・一五検面調書))。等)を含め具体的かつ詳細に相互に矛盾なく供述しているものであり、証人渡辺伸夫の当公判廷における供述によって認められる被告人が右各事実を自供するに至った経緯に照らしても、その信用性に何ら疑いをいれる余地がなく、さらに、右各事実は、前記のとおり被告人は本件の数日前約一〇グラムの覚せい剤を入手していたものであること、右各事実の前後に被告人と行動を共にした石井の証言内容並びに司法巡査渡辺伸夫作成の昭和五八年五月九日付及び同年六月一七日付(二通)各捜査報告書、被告人作成の尿の任意提出書、司法巡査渡辺伸夫作成の昭和五八年五月九日付領置調書、被告人作成の尿の所有権放棄書、被告人作成の鑑定承諾書、司法警察員作成の昭和五八年五月八日付、同月九日付(北鑑第一八三号のもの)及び同月二五日付各鑑定嘱託書謄本、北海道警察本部刑事部科学捜査研究所化学科技術吏員長谷川長俊作成の昭和五八年五月一六日付(北鑑第一八三号に対するもの)及び同年六月一五日付各鑑定書並びに同長谷川長俊及び同吉田邦夫連名作成の鑑定書によって認められる被告人が任意に提出した被告人の尿及びAの血液、同女が失禁したとみられるじゅうたんから採取された同女の尿から覚せい剤が検出されている事実等によっても裏付けられるところであるから、これらによれば、右各事実の証明は十分であるということができ、格別の根拠も指摘せず被告人の右各検面調書には信用性がないとする弁護人の主張には左袒することができない。なお、被告人は、「同日自宅において石井から譲り受けた覚せい剤の一部を石井から借りた注射器で自己使用した事実ならあるが、自分が覚せい剤を使用したのはその時が最後であり、その後ホテルロイヤル朋において覚せい剤を自己使用した事実はない。また、同ホテルの二〇三号室においてAに覚せい剤を注射してやるよう石井に指示をした事実ならあるが、自分が同女に覚せい剤を注射した事実はない。たしかに自分は自宅を出る時石井から譲り受け、自己使用した残りの覚せい剤を持って出たが、注射器は持っていかなかったので、注射しようにもできなかった。」旨最終的に弁解するが、右弁解も、Aが自分で注射したものであるとの昭和五八年八月一二日の勾留質問や同年九月一九日の第一回公判における供述と矛盾するうえ、右弁解は判示第一の一及び二の各事実に対する弁解と同様公判の最終段階になって初めて持ち出されたものであり、右のように供述を変えた理由についても「公判当初は(なぜ)私一人がこういう目に合わなければならないのか、Aは自分が好きで飛び込んできて、こっちの方が被害者だと(思い)……もう頭にきてしまってましたから、今思えば支離滅裂なことも言ったかも知れません。」という程度のものであって、説得力に乏しいものであること等にかんがみるならば、到底信用できない。また、被告人は、強制ないし利益誘導により尿を提出したかのごとく弁解し、弁護人もそのことを指摘しているが、第二回公判調書中の証人渡辺伸夫の供述部分及び司法巡査渡辺伸夫作成の昭和五八年五月九日付捜査報告書によればそのような事実はなかったことは明らかであり、さらに、被告人は昭和六〇年一一月一一日付上申書において「自分は警察署において尿の提出を求められた際警察官から渡されたコップの中には大部分便器を流れる水を入れ、自分の尿はほとんど入れていないのであるから、その中から覚せい剤が検出されたという鑑定結果には疑問がある。」と弁解しながらそのわずか一か月余り後の同年一二月一八日付の「補充書」と題する書面においては、ごまかした方法につき、「警察の取調室で一人になった際、室内にあった検尿用紙コップ内に水と飲み残したお茶を混入させ、これを上衣内ポケットに入れて洗面所に行き、立ち会った捜査官のすきをみて右紙コップ内に尿を入れたかのように見せ掛けた。」旨たやすく供述をひるがえしており、これまた到底信用することができない。

その他、判示第一の一ないし四の各事実について被告人が種々弁解するところは、前掲各証拠と対比して、いずれも信用することができない。

第二  判示第二の事実について

一  争点

検察官は、被告人が判示第二認定のとおりの保護責任者遺棄の罪を犯し、更にこれによってAを死に至らしめた旨主張するところ、被告人は、判示第一の各事実に対する弁解を前提として、「ホテルロイヤル朋に行った目的は、Aと性交渉を持つことにあったのではない。」、「ホテルボルボでAから覚せい剤を注射してほしいと言われたものの、自分は注射器を持っていなかったので、薬局で注射器を買ってホテルロイヤル朋で同女に一回打って帰らせようと思った。」、「注射器を持っている石井に命じて打ってやろうと考えてホテルロイヤル朋に行った。」、「自分は、ホテルボルボの客室『ボルボ』においても、ホテルロイヤル朋の二〇三号室においても、Aに覚せい剤を注射したことはない。」、「ホテルロイヤル朋の二〇三号室内においてAが暴れ回ったことはあるが、同女から頭痛、胸苦しさ、吐き気等を訴えられたことは一切なかったし、同女は判断力も失っていなかった。」、「自分は覚せい剤による錯乱状態は一過性のものであると考えており、自分の経験によると、錯乱状態は三〇分か長くても一時間以内に治まるものである。したがって、Aの場合も静かに休ませておけばすぐ治まると思っていた。」、「倒れていたAをベッドの上に寝かせようとした時、同女が右手で自分の胸を押したので、そのままにして動かさないでいて欲しいという意思表示と受け取った。同女の状態は生命の危険が感じられるほどのものではなく、同女が死亡するなどとは全く考えなかった。」旨弁解するものであり、また、弁護人は、事実関係については、大筋において被告人の右弁解に立脚したうえで、罪体に関する補強証拠の不存在、保護責任者たる身分の不存在及びその認識の欠如、保護義務の履行ないし保護義務履行上の期待可能性の欠如、被害者の承諾による違法性の阻却、事実の錯誤による故意の阻却、行為と結果との間の因果関係の不存在、死の結果に対する予見可能性の不存在等々多くの事実上及び法律上の主張をするが、そのうち、「本件遺棄致死は昭和五八年六月一七日付起訴状の公訴事実第二(判示第一の四のAとの共謀による同女に対する覚せい剤の使用の事実)と牽連犯の関係にあるからこれを別々に起訴したことは二重起訴の禁止に触れる。」との主張は、覚せい剤の使用と保護責任者遺棄致死との間に犯罪の性質上手段結果の関係があるとはいえないことが明らかであるから、その前提を欠き、失当と言わざるを得ない。

二  当裁判所の認定事実

被告人の検面調書七通、石井証言、岡島証言、川合証言、第八回公判調書中の証人清水かつ枝の供述部分、第一〇回公判調書中の証人近藤明嗣の供述部分、第一〇回公判調書中の証人上ケ島由美子の供述部分(以下「上ケ島証言」という。)、第一二回公判調書中の証人Bの供述部分、第一四回公判調書中の証人高山勲の供述部分(以下「高山証言」という。)、小山幸夫の検察官に対する供述調書、司法警察員及び司法巡査作成の各実況見分調書、司法巡査妹尾和明作成の昭和五八年五月一〇日付写真撮影報告書、北海道警察本部刑事部科学捜査研究所化学科技術吏員作成の昭和五八年五月一六日付(北鑑第一八三号に対するもの、同第一九一号に対するもの・謄本、同第一九二号に対するもの・謄本、同第二〇三号に対するもの・謄本の四通)、同月二五日付及び同年六月一五日付各鑑定書、司法警察員作成の検視調書、医師藤岡隆男作成の死亡診断書(死体検案書)、医師森田匡彦作成の鑑定書、北海道地区麻薬取締官事務所鑑定官筒井房夫作成の「報告書」と題する書面謄本、押収してあるビニール袋入り覚せい剤結晶性粉末一袋(昭和五八年押第二五三号の25)、被告人作成の上申書四通及び「補充書」と題する書面(以下まとめて「上申書」ということとし、作成日付による特定は年月日を略記して付加することにより行う。ただし、後記措信しない部分を除く。)並びに被告人の当公判廷における供述(以下「被告人の公判供述」という。ただし、後記措信しない部分を除く。)を総合すると、昭和五八年五月七日に被告人がAと出合った後、翌八日同女の死体が発見されるまでの出来事として、以下の事実を認定することができる。

1 被告人は、昭和五八年五月七日、当時札幌拘置支所に未決収監されていた内妻の中島輝美に面会するため、面会受付の締切り時刻の午前一一時三〇分ころまでに同支所に行く予定で、札幌市北区新琴似六条一丁目二番一九号所在の京山荘三号室の自宅において、そのころ運転手代わりをさせていた柏谷こと石井芳美が車両で迎えに来るのを待っていたところ、午前一〇時三〇分ころ、それまで何度か覚せい剤を譲り渡したことのある岡島孝明が覚せい剤を買いに被告人宅までやって来たため、同人に対し覚せい剤約〇・二グラムを代金一万円と引き換えに譲渡したが、その際、同人から、覚せい剤を与えてやれば性交渉に応じてくれる若い女と一緒にホテルボルボにいるから来ないかと誘われ、以前からそのような女がいたら紹介してくれと同人に頼んでいたこともあって、これに気を引かれたものの、右のとおり面会に行く予定があったため、同人にその旨を告げて、その誘いを断った。

2 ところが、石井は約束の時刻に遅れ、午前一一時を過ぎてから被告人宅に来たため、被告人は、もう時間に間に合わないと考えて面会に行くのを取りやめることとし、また岡島から再度同様の誘いの電話もあったので、石井に対し、女を紹介してやると言って前記岡島からの誘いの内容を話し、石井の運転する車両に同乗して、岡島らのいる札幌市西区手稲宮の沢三八五番地二六所在の判示ホテルボルボに向かったが、この時、覚せい剤を小分けするための秤やビニール袋のほか、手持ちの覚せい剤若干量を持って出た。

3 被告人は石井とともに、午後零時三〇分ころホテルボルボに着き、同ホテルの客室「紅華」において、岡島のほか後に名前を知った川合明及びAと顔を合わせたが、岡島らは、それより前、岡島が被告人から買った前記覚せい剤の一部を三人で使用していたところ、被告人及び石井においても、岡島との会話や右三名の言動から、同人らが覚せい剤を使用した後であることを知った。そして、岡島は、被告人に対しAが生理中であると告げたところ、被告人から女性が目的ではなく覚せい剤の小分けをしに来たのだと言われたが、わざわざ来たからには、その真意は女性と性交渉を持つことにあるのだろうと考え、また、被告人が石井と二人でやって来たため、もう一人女性が必要だと考え、そのような女性を見付けて連れて来るため、同室にAを残し、川合を伴って同ホテルから出て行った。

4 岡島と川合が「紅華」から出掛けた後、被告人は、石井に命じて、まず、自宅から持って来たビニール袋を材料として、小分けした覚せい剤を入れるための空パケを一〇枚くらい作らせ、その後、同室において同人にAと性交渉を持つ機会を与えるため自分は別の部屋へ移ろうと考え、石井に命じてホテルのフロントに電話をかけさせ、新しく客室「ボルボ」を借り、そこに移ることとしたが、「紅華」から出て行く前に、同人に対し、空パケ作りの手間賃の意味をも込めて、同人がAと二人で使用するための覚せい剤約〇・〇八グラムを無償で譲渡した(判示第一の一の事実)。

5 一方、岡島は、川合とともにドライブしながら、覚せい剤を使用したり、性交渉の相手となってくれそうな女性を物色したものの、結局見付けることができず、午後二時三〇分ころホテルボルボに戻り、そのことを被告人に報告するため川合と「紅華」に入ったが、同室ではちょうど石井が注射器に入れた覚せい剤を水に溶かしているところであり、同人から被告人は「ボルボ」に移ったと聞かされたため、すぐに一人でホテル内の空地をはさんで「紅華」の向かい側にある「ボルボ」に行き、同室において、被告人から覚せい剤約一グラムを代金三万円後払いの約束で譲り受けた(判示第一の二の事実)後、川合とともに同ホテルから立ち去った。

6 また、石井は、「紅華」において、被告人から覚せい剤を譲り受けた後、これを空パケ作りをした残りのビニールで作った袋に入れ、しばらくAと時間を過ごしてから、これを使用しようとして、その一部を注射器に入れて水に溶かしていたところを前記のとおり同室に戻って来た岡島に目撃された。その後、石井は、溶かさなかった覚せい剤の粉末約〇・〇四グラム(昭和五八年押第二五三号の25はその一部)入りのビニール袋に封をしてこれを森山に手渡してから「ボルボ」に行き、被告人にAと二人で覚せい剤を使用した旨を告げ、同室において被告人及びAと三人でしばらく時間を過ごしてから同ホテルを後にした。

7 その後、「ボルボ」には被告人とAの二人だけとなったが、同女は、被告人に対し家に帰るがタクシーを待たせてすぐ戻ってくるからと言って、午後四時すぎころ、ホテルに呼んでもらったタクシーに乗って札幌市西区八軒三条西一丁目三番六号所在のアパート「山一荘」の自宅に帰った。帰宅した同女は顔色が悪く、吐くなどしたが、着替えをすませた後、午後五時四〇分ころ再び家を出てホテルボルボに戻った。

8 被告人は、前記客室「ボルボ」に戻ったAと再び二人きりとなり、同女の家族のことなどについて雑談をして時を過ごすうち、午後九時四〇分ころ、同女が青ざめた顔をしながら「あげそうだ。」と言ったうえ、持っていた自分のバッグの中からビニール袋に入った覚せい剤を取り出し、これを自分に注射して欲しいと言ってきたため、同女にその入手先を尋ねたところ、同女が「さっきの人からもらった。」旨答えたので、右覚せい剤は石井から譲り受けたものであることを知ったが、同女に対する見栄の気持ちから、同女の差し出した覚せい剤は使わず、自分の持っていた覚せい剤の中から約〇・〇四グラムを取り出し、これを同女にくませてきた約〇・二五立方センチメートルの水に溶かして同女の左腕血管内に注射した。すると、同女はしばらくベッドの上で仰向けになって休んだ後、被告人を呼び寄せ、自ら被告人に抱き着いてキスをし、気持ちが良くなった旨告げた。

9 被告人は、Aが右のような態度をとってくれたことから同女と性交渉を持ちたいとの気持ちが高まり、場所を行きつけのホテルロイヤル朋に移し、雰囲気を変えようと考え、そのころたまたまホテルボルボにやってきた石井の運転する車両に同女を同乗させ、同ホテルを出ていったん肩書地の自宅に寄り、着替えなどをした後、再び石井に車両を運転させて出発し、午後一一時ころ、自宅近くの以前から頻繁に利用していた札幌市北区北四〇条西五丁目三二八番地一五所在のいわゆるラブホテルであるホテルロイヤル朋に到着し、石井及びAとともに同ホテルの二〇三号室に入った。

10 被告人は、同室に入るとすぐ宿泊代金を支払うとともに管理人室に電話で注文して清涼飲料水の「ミリンダ」を三本運んで来させ、これを石井、Aとともに一本ずつ飲んだ後、石井に対し、遅くても翌日午前二時までには迎えに来るようにと指示して、同人を帰らせた。そして、午後一一時六分ころ、自宅に電話をかけて母親に自分の居場所を教えた後、Aから「具合が悪い。」、「胸がちょっと苦しい。」などと訴えられたため、覚せい剤を注射してやれば元気になるのではないかと考え、またこの際自分も一緒に使用することとし、同女に対し覚せい剤を注射しようと持ち掛けてその同意を得たうえ、午後一一時一〇分ころ、覚せい剤約〇・〇八グラムを約〇・五立方センチメートルの水に溶かしてから、それぞれその半分の量を、まず自分の左腕部、次いで同女の左腕部の順で血管内に注射した(判示第一の三及び四の事実)。

11 被告人は、右注射の後、二〇三号室の浴室の浴槽に湯を入れて入浴の準備をし、小山幸夫、夏木某男など自分の覚せい剤の取引先に電話をするなどしたが、午後一一時四〇分ころに至り、Aが頭痛、胸苦しさ及び吐き気等を訴え始めたため、同女が同日中既に岡島や石井らによって覚せい剤を注射されたことを同人らから聞いて知っていたうえに自分が短時間内に二度も注射したことが原因で苦しみ始めたものと思い、同女に対し、ベッドの上で横になり、目を閉じて静かにして休んでいるようにと言ってから便所に入り、二〇分くらい時間をかけて排便した後、入浴した。ところが、入浴してからすぐの翌五月八日午前零時五分ころ、ベッドの上に横たわっていた同女が苦しそうな声で「ちょっと、ちょっと。」、「いや、いや、ちょっと。」と叫んで入浴中の被告人を呼んだので、被告人は浴室から出て同女をみたところ、同女はベッドの上で前かがみになって座り込み、頭がベッドに届くほどに上半身を曲げ、両手で頭を抱えるなどして、前よりも更に強い調子で頭痛、胸苦しさ及び吐き気等を訴え始めたため、同女の背中をさすり、目を閉じるよう教え、濡らしたタオルを同女の目から額にかけて当てて冷やしてやるなどして約一〇分後にようやく落ち着かせたものの、午前零時二五分ころ、同女は再び頭痛や胸苦しさを訴え始め、そのうち「ウーウー。」とうなり声をあげて苦しみ出し、「ママ、ママ。」などと叫び声をあげ、被告人の問い掛けにも正常な応答ができなくなり、「俺だってお前ば好きなんだ。」などと意味不明の言葉を発するようになったばかりか、ベッドの上でふらふらと立ち上がり、被告人が何度押さえ付けても立ち上がろうとするなど異様な言動を見せ始めた。そこで、被告人は、再び同女の背中をさすり、目を閉じているよう声を掛け、何度も立ち上がろうとする同女を抱き抱え、抵抗する同女をベッドの上に横たえるなどし、午前一時ころには一応の小康を得た。しかし、それもつかの間、同女は、突然ベッドから起き上がるや、「熱い、熱い、熱くて死にそうだ。」などと言いながらベッドを下り、上着、スカート、靴下などの着衣を脱ぎ捨て、風呂に入ると言って部屋の窓を開いたうえ窓から外に飛び出そうとし、あわてた被告人が背後から同女の体をつかまえて引っ張ると、被告人の手を振り払おうとして抵抗し、「落ち着け。こんなに騒いで警察が来たらどうするんだ。シャブやってるのがばれて、お前もぱくられるんだぞ。」などと言い聞かせると、「わかった。」とこれを理解したような返事をしたものの、被告人が手を離すと四つん這いになって部屋の中を逃げ回り、更には下着を脱ぎ捨て、熱いから風呂に入るなどと言いながら、浴室の前を通り過ぎて部屋の出入口の扉を開けようとしたので、被告人は同女の手を取って浴室の中に入れてやったが、同女がシャワーの温度調節器をめちゃくちゃに回し始めたため、水を浴びたがっているものと考えてシャワーの水を出してやると、今度はいつまでも水を浴び続け、体が震え出し唇が紫色になっても水浴びをやめようとせず、被告人がシャワーの取っ手を奪おうとしてもこれを握り締めて離さず、浴室から連れ出そうとしても壁に腕を突っ張るなどして抵抗し、その後、被告人がバスタオルで体をふいてやろうとしても、これをいやがって逃げようとしたり、「お前だれよ。ママ知ってるのか。」などと被告人がだれであるか分からないようなことを言ったりし、被告人が落ち着かせようとして同女の体を抱き締めキスをしたところ、いきなり床の上に腰を下ろして両足を広げ全裸のまま陰部を被告人に向けて卑わいな言葉を口にし、被告人が同女を抱き上げベッドに運んで寝かせようとしてもすぐベッドから下り、そのうち、同女を抱き上げようとした被告人の右手にかみ付き、更に母親に電話をすると言って電話のダイヤルをめちゃくちゃに回すなどした。この間、被告人は、部屋に備え付けのビデオをつけて同女が騒ぐ物音を隣室等に聞こえないようにする一方、暴れる同女を取り押さえ、なだめて落ち着かせようと努めたが、同女がどうしてもベッドの上に横になろうとしないので、午前一時四〇分ころ、ベッドの上にあった掛け布団をベッドの足側の方の床の上に引きずり下ろしたうえ、同女に足払いをかけてその上に横倒しにして同女を寝かせつけたところ、同女は急にそれまでのような激しい身動きをやめ、上半身をねじるようにしてうつぶせになり、頭を冷蔵庫が収納されている棚付きの箱のそばに置き、左足をベッドの足側の端に掛けた姿勢のまま、時折小さく体をねじるようにしたり、顔を左右に動かすものの、目は閉じたまま、うめき声をあげ、不規則な荒い呼吸をしながら、もがくようにして苦しんでいた。

12 被告人は、このようなAの様子を見て、すぐにでも病院に運ばなければ同女が死んでしまうのではないかと感じたが、同女を病院に収容すれば自分が同女に覚せい剤を注射したことが発覚してしまうことになるのでその気にもなれず、とりあえずはホテルのメイドを呼ぼうという気になり、それでもできるだけ自己の覚せい剤使用の犯行の跡は隠したいとの気持ちから、まず、持っていた覚せい剤や注射器などを、細かく砕くなどして、同室便所内の便器の中に投げ込み、水で流した後、急いで身繕いをして管理人室に電話をかけ、「連れの女が酒に酔ってどうにもならんので手を貸してもらえないか。」などと嘘を言ってメイドを呼んだが、間もなくやって来たホテルの女性従業員二名が部屋の出入口から中をのぞいて前示のような姿勢で全裸で倒れているAに気付き、中に入るのをしばらくためらっていたところへたまたま被告人を迎えに来た石井が姿を見せたため、何とか自分たちだけで処置できるのではないかと考え、「もういいから。」と言って同女らを引き取らせた。

13 被告人は、部屋に入ってきた石井に対し、腕に注射をする仕草をして見せて同女が倒れているのは覚せい剤が原因である旨を教え、その後、同人に命じてAの額に濡れたタオルを置かせたり、捨て忘れていた注射器のケースを便器に捨てさせたりし、自分は前記小山幸夫宅に「俺の体がかかっているので大至急ホテルロイヤル朋の二〇三号室まで来て欲しい。」旨の電話をかけて助力を求めたり、ホテルボルボに電話をして岡島と連絡を取ろうとしたりする一方、管理人室に電話をしてミリンダを五本持って来させ、また自ら管理人室まで行き、部屋を散らかしたからと言ってホテル従業員に五、〇〇〇円を渡すなどしたが、Aの処置については、救急車を呼んだ方がよいのではないかなどと同女の生命身体の安全を心配した石井と善後策を話し合ったりしたものの、結局そのまま放置することに決め、同人にもその旨言い渡した後、ベッドの横の床の上に倒れてから同じ姿勢で額に濡れたタオルを掛けたまま横たわっていたAの体の上に浴衣を掛け、管理人室には電話で「用事があるので出掛けるが、一時間くらいしたら帰ってくる。女は状態が良くなったので、そのままにしていく。」旨言って、午前二時一五分ころ、石井とともに同ホテル二〇三号室から立ち去った。この間、同女は、被告人に倒された時から同じ位置で同じ姿勢のまま、次第に小声になりながらもうめき声をあげていたが、被告人らが部屋を出る時には、ひざの裏のあたりがぴくぴく動き、足がけいれんしている状態であったものの、なお存命していた。

14 こうしてホテルロイヤル朋を後にした被告人は、石井の運転する車両で、札幌市中央区内の前記夏木某男宅に立ち寄り、次いでその近くの小山幸夫宅を訪ねたが留守だったため「三時一〇分に来た。」旨のメモを置いて、自宅に向かい、その途中、石井に命じて「もう少しで帰る。」旨同ホテルに電話をかけさせ、帰宅後は、被告人の舎弟分である谷岡保の愛人のBに架電して、同女を自宅まで呼び寄せたうえ、石井に送らせて同女とともに札幌市中の島にあるホテルアカシヤまで行き、そこで石井と別れ、更にタクシーで同市中の島にあるホテルエンペラーファイブに行き、同女とともに同ホテルに投宿した。

15 Aは、五月八日午前一〇時四〇分ころ、ホテルロイヤル朋の従業員によって、被告人らが立ち去った時とほぼ同一の状態で倒れたまま死亡しているのを発見され、同日その死体が解剖された結果、死因は覚せい剤による急性心不全、死亡時刻は遅くとも五月八日午前四時二〇分ころまでと推定される旨の鑑定がなされた。

概略以上のとおり認めることができ、被告人作成の上申書五通及び被告人の公判供述のうち右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比し、また前記第一において説明した理由によりいずれも措信しない。

被告人の弁解のうち、「ホテルロイヤル朋に行った目的はAと性交渉を持つことではなかった。」との点は、被告人が石井を連れてわざわざホテルボルボに出向いた理由、同ホテルでAの帰りをなぜ長時間待っていたか、覚せい剤を注射させる場所としてホテルロイヤル朋を選んだ理由等重要な事実につき説明が欠落しているか、納得しうる供述をしていないこと等に照らし措信できず、また、「ホテルボルボにおいてAに覚せい剤を注射していない。」との点が信用できないことは、既に説示したとおりであり、「Aがホテルロイヤル朋の二〇三号室において暴れ回ったりしたことはあるが、同女から頭痛、胸苦しさ、吐き気等を訴えられたことは一切なかったし、同女の状態は生命の危険が感じられるほどのものでなかった。」との点については、被告人が各検面調書において一貫して前記11ないし13の事実を認めているところ、その内容も現場にいた者でなければ到底述べられないような事実を含め詳細かつ具体的であるうえ、石井証言、上ケ島証言、高山証言、第一一回公判調書中の証人小山幸夫の供述部分、小山幸夫の検察官に対する供述調書及び司法警察員作成の実況見分調書等の他の証拠と矛盾するところがないことなどからみて信用性の高いものであるのに対し、右弁解は、被告人がいわゆる求令起訴の際の勾留質問における裁判官の質問に対して「Aが頭痛、胸苦しさ、吐き気等の症状を訴え始めたのは大体そのとおりです。」と供述し、第一回公判における罪状認否の時にも右の点について「Aが苦しがっていたことは事実です。」旨の供述をしていること、かつ、その後に至ってその供述を変えた理由につき何ら合理的な説明をしていないこと等に照らし、いずれも信用できず、さらに、被告人の「Aはある程度暴れていたが同女の判断力は失われていなかった。」との弁解について検討するに、被告人が右のように主張する根拠は、暴れている同女に対し被告人が「サツが来たらどうする。」と言ったところ同女が急に静かになったという点にあるとみられるところ、被告人自身も当公判廷において認めている少なくとも三〇分間続いた同女の異常言動(キャーと言って窓から出ようとした。廊下に飛び出そうとした。電話のダイヤルをめちゃめちゃに回した等)は、同女の判断能力が著しく低下していたことを明白に示すものであり、そのような最中に一時的に正常とみられる反応があったとしても、そのことのみをもってそのころの同室内における同女の判断能力が終始正常であったとすることは到底できない。

弁護人は、ホテルロイヤル朋の二〇三号室における本件当時の状況、とりわけ被告人がAに覚せい剤を注射したとの事実を証明する証拠は、被告人の供述以外には存しないから、憲法三八条三項に従い、被告人を保護責任者遺棄致死罪につき有罪とすることはできないと主張するが、これらの事実については、その前後に被告人と行動を共にした石井の証言、本件当夜ホテルロイヤル朋で被告人と電話で、あるいは直接、接触している同ホテルの従業員である上ケ島や高山の各証言、被告人から電話を受けた小山の検察官に対する供述調書、本件直後の同室内の状況を明らかにする司法警察員作成の実況見分調書、Aの血液や尿から覚せい剤が検出されたことを立証する北海道警察本部刑事部科学捜査研究所化学科技術吏員長谷川長俊及び同吉田邦夫連名作成並びに同長谷川長俊作成の昭和五八年六月一五日付各鑑定書等被告人の自白にかかる事実の真実性を保障しうる程度の補強証拠がそろっているから、失当というほかない。

また、弁護人は、「ベッドの横に倒れたAをベッドの上に寝かせようとしたところ、同女が右手で自分の胸を押したので、同女はそのままにしておいて欲しがっているものと思った。」との被告人の供述を前提に、同女は被告人の介護を制止しており、遺棄について被害者の承諾があったから遺法性が阻却される、仮にそうでないとしても、被告人は被害者の承諾があったものと誤信して立ち去ったのであるから、事実の錯誤により故意が阻却されると主張するが、遺棄罪は被遺棄者の生命・身体を保護する個人的法益に対する罪であるばかりでなく、人を遺棄して生命・身体に危険を与えること自体が社会的に許されないものとして設けられた社会的法益に対する罪としての性格をも有するものと解されるから、仮に被遺棄者の承諾があったとしても、違法性は阻却されず、かつ、右のように解すると、被遺棄者の承諾があつたと誤信したとしても、故意が阻却されるものでないことも明白であるから、遺棄罪の成立は免れないものであり、弁護人の主張はこの点で既に失当である(加えて、被告人の右の点に関する供述は、Aがホテルロイヤル朋の二〇三号室において頭痛等の苦痛を訴えたことはなく、判断力も失っていなかったとする供述と一体をなすものであるところ、既に述べたようにこの供述自体信用できないものであること、被告人の各検面調書においては同女が介護されることを制止した点について一切触れられておらず、かつ、そのことを検察官に対してなぜ述べなかったかにつき、当公判廷において具体性のある説明がないこと、前記認定事実、とりわけその前後におけるAの異常な言動、同室内において石井と救急車を呼ぶか否かについて話し合った事実などとも甚だしく矛盾すること等に照らしても、到底信用できないから、弁護人の主張はその前提となる事実を欠き、いずれの面からみても失当と言わざるを得ない。)。

三  判断(被告人の刑事責任)

1 Aが刑法二一八条一項にいう「病者」であること

以上の認定事実に徴すると、Aは、覚せい剤の使用による影響のため、遅くとも五月八日午前零時五分ころ入浴中の被告人に対し以前よりも強い調子で頭痛等を訴え始めた時点において、既に健康を害し身体の自由を失い他人の扶助を要する状態にあったと認められるから、刑法二一八条一項にいう「病者」であったというべく、その後その状態がますます悪化し、午前零時二五分ころ異常な言動を現し始め、午前一時ころからは着衣を脱ぎ捨て、意味もなく部屋の中を活発に動き回り、全裸のまま卑わいな言葉を口にし、午前一時四〇分ころベッドのそばに倒れて身動きできなくなるに及んで同女の要保護性はもはや動かしがたいものとなり、被告人が午前二時一五分ころ退室する時点においても、依然としてその生命身体に危険のある状態におかれていたものと認めることができる。

そして、鑑定証人森田匡彦の当公判廷における供述、同人に対する当裁判所の尋問調書及び同人作成の鑑定書(以下まとめて「森田鑑定」という。)、鑑定証人金子正光の当公判廷における供述及び同人の検察官に対する供述調書(以下まとめて「金子鑑定」という。)、検察官作成の「報告書」と題する書面二通並びに司法警察員佐々木淳一作成の捜査報告書によれば、Aの死因は、覚せい剤による急性心不全であり、死亡推定時刻は五月八日午前四時二〇分からさかのぼること一二時間以内であって、被告人の退室後二時間程度の同日午前四時二〇分くらいまでしか生存していなかったことがうかがわれるものの、札幌市内には二四時間体制で救急医療体制をとっている札幌医科大学付属病院をはじめ高度な医療機関が揃っていることに加え、本件以前から市内各病院が輪番で「災害当番病院」として二四時間体制で重症患者を含む救急患者の受け入れに対応していたから、Aをして早期に医師の診察・治療を受けさせれば、医師において、呼吸、血圧、脈拍、体温、意識を確認し、補液により心臓循環系を維持しながら塩化アンモン等の利尿剤を投与して覚せい剤を体内から排せつさせる方法により治療を行うことが可能であったこと、同女は一度に多量の覚せい剤を体内に摂取したものではなく、時をおいて少なくとも三回以上に分けて使用していること、同女の血中覚せい剤濃度は一七八マイクログラムパー一〇〇ミリリットルであって直ちに急性中毒死を招くほどの量とはいえない(ちなみに、北海道警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員長谷川長俊及び同吉田邦夫連名作成の鑑定書によれば、覚せい剤使用による中毒死の七症例のうち血中覚せい剤濃度が最も少なかった死者は四八〇マイクログラムパー一〇〇ミリリットルである。)こと、同女は身長一五一センチメートル、体重四七・五キログラムであって年齢の割には成人に近い体格をしており、中学校における健康診断でも何ら異常を認められず、健康体と判定されていたこと、同女の臓器、特に排せつ作用をつかさどる腎臓等には異常が認められず右治療による効果が十分期待でき、特に、前記金子鑑定によると、五月八日午前一時四〇分の時点までなら十中八九の高率で同女を助けることができ、それ以後は、同女が身動きしなくなった原因が睡眠状態にあったことによるものか心臓機能が著しく低下したことによるものか分からないので、可能性の割合を断定できないものの、いずれにせよかなり高い割合で救命し得たのではないかとされており、森田鑑定も同様に同女の救命可能性が大きなものであったとしていることを総合すると、同女は、被告人が立ち去った時点においてもなお、適切な救急医療措置を加えられることによって生命の危険を脱する可能性があったことを否定することができず、したがって、五月八日午前零時五分以降の同女は刑法二一八条一項により「病者」として法律上保護されるべき適格性を備えていたということができる。

2 被告人が保護責任者であること

そして、同女の右状態は、同女がその直前の五月七日正午前後ころから同日午後一一時一〇分ころまでの短時間内に少なくとも三回(ホテルボルボの客室「紅華」において岡島から、同ホテルの客室「ボルボ」において被告人から、ホテルロイヤル朋二〇三号室において被告人から)自己の身体に覚せい剤水溶液を施用したことによって惹起されたものであると認められるところ、右施用に供された覚せい剤はいずれも被告人が提供したものであること、被告人自身は、岡島だけではなく石井もホテルボルボの客室「紅華」において自己が同人に譲渡した覚せい剤を同女に使用しているとの認識のもとに、同女が体調の不良を訴えていたにもかかわらず、続けて二回、一回につき約〇・〇四グラムという比較的多量の覚せい剤を同女に注射しており、被告人は、同女の健康状態の悪化に直接的にも間接的にも原因を与えていること、被告人は、前記同女の健康状態の悪化の一部始終をそのそばにいて目撃し、同女の異常な言動が覚せい剤の薬理作用によるものであることを十分に理解したうえ、当初は背中をさすり、声をかけ、濡れタオルで額を冷やしてやるなどして約二時間介護に努めていたこと、同女が前記のとおりの要保護状態に陥った場所は、被告人と同女が合意の下に赴いたラブホテルの一室であってその性質上当該利用者の要請のない限りホテル従業員はもちろんのこと他の者において立ち入ることのできない密室性の高いものであるところ、Aが要保護状態に陥ってから後は同室内には正常な判断力、行動力を有する者は被告人しかいなかったこと、その他同女は被告人と比べ明らかに体格の劣る年若い女性であったこと、前記のような同女の要保護状態等の本件事実関係の下では、条理ないし健全な社会通念に基づき、被告人には、遅くとも同女が自力で起居動作等を行う能力を失っていたとみられる五月八日午前零時二五分ころ以降は医師の診察・治療を求めるなどして、同女の生命・身体の危険を除去し生存に必要な保護をなすべき法律上の義務が生じていたものであって、刑法二一八条一項にいう保護責任者の地位にあったと言わなければならない。そして、被告人は、同女が他人の扶助を要する状態にあり、かつ、何らかの適切な保護処置を講じるのでなければ同女の生命の危険は除去されず、更に同女がそのような状態に陥ったのは自己が同女に覚せい剤を注射したことが直接の原因であり、自己以外に同女のために医師の診察治療を求めるなどの必要な保護処置を講じうる者はないとの認識にも欠けるところがなかったものと認めることができる。

弁護人は、被告人はAとは親族関係にないこと、被告人は同女に覚せい剤を注射しておらず、またそもそも同女は覚せい剤を注射されることにつき同意しているのであるから、被告人には先行行為と目されるべき違法な行為がないこと、被告人は本件当日初めて同女と会ったものであり、同女は自己の自発的な自由意思に基づいて被告人とホテルに同行したものであるから、被告人が自らの一方的な意思・行為によってAを自己の支配下に置いたといういわゆる引き受け行為をしたとか、同女が被告人の支配領域下にあったとかいうことはできないこと等の事情を主張して被告人の保護責任者たる身分の存在ないし発生を争うかのごとくであるが、刑法二一八条一項のいわゆる保護責任の根拠は法令の規定による場合に限られるものではなく、また被告人が同女に対し法律によって使用を禁じられている覚せい剤を注射するという違法行為をしていることは既に認定したとおりであるうえ、条理上保護責任が認められる前提となる先行行為は違法行為であることを要しないものであるから、被告人に違法な行為がないとの主張はその前提を欠くかそれ自体失当であり、更に保護責任の成立範囲を画すべき要素としてのいわゆる具体的な引き受け行為などの有無は、遺棄者と被遺棄者との関係、被害者が要保護状態に至った経緯・原因、それに対する遺棄者の関与の度合い等の具体的事由につき客観的に判断されるべきことであるところ、前記認定のような本件事実関係の下においては、右の点に関する弁護人の右主張も失当であって、採用の限りではない。また、弁護人は、被告人には自分が保護責任者であるとの認識がなかったと主張するが、被告人に保護責任の生ずる根拠事実についての完全な認識があったことは既に認定したとおりであり、それがある限り、自己が保護責任者ではないと誤信したとしても、それはいわゆる法律の錯誤にすぎず、故意を阻却するものではない。

3 被告人がAを遺棄したこと

被告人は、五月八日午前一時四〇分ころまでは被告人なりにAを介護し、ベッドのそばに倒れ込み身動きをやめた同女を見て、一応ホテルの管理人室に電話をしてメイドを呼んだものの、同女らを介して医師の診察・治療を求めるなどAの生存に必要な措置を何ら講じないうちに、石井が現れるや、自己の覚せい剤に関する犯罪の発覚を恐れて、直ちにメイドを引き取らせ、その後、ホテルの従業員には努めて平静を装い、「一時間くらいしたら帰ってくる。」旨言って、Aの健康状態を知らせないまま、午前二時一五分ころホテルから立ち去ったものであるが、遺棄罪は遺棄行為によって被遺棄者の生命・身体に対する抽象的危険を生ぜしめることによって成立するものと解すべきところ、本件においては、被告人の遺棄行為によってその程度にとどまらずAの生命に対する具体的な危険を生ぜしめたと言うことができ、したがって、被告人は刑法二一八条一項の保護責任者遺棄の責任を免れないというべきである。弁護人は、被告人はホテルの管理人室に電話をしてメイドを二人呼んでいるから保護責任を尽くしており、それ以上に進んで医師の診察・治療を求めるのはホテル側の責任者のなすべきことであって被告人には医師の診察・治療を求めることにつき期待可能性がない旨主張するけれども、前記事実関係からも明らかなように、被告人は自ら又はホテル従業員に依頼して救急車の出動を求めるなどの方法により容易に医師の診察・治療を求めることができたのに、メイドを呼んだだけで、部屋の入り口まで来た同女らにAの実際の状態を伝えず、すぐに引き取らせているのであって到底保護責任を尽くしたとは言えず、この点に関する弁護人の主張はその前提を欠き、採用できない。

4 被告人の遺棄行為とAの死との間に因果関係が認められないこと

しかしながら、本件のように不作為による遺棄行為によってAを死に至らせた場合は、被告人の遺棄行為がなければAは確実に死ななかったこと、すなわち、被告人の遺棄行為と同女の死亡との間の因果関係が証明されなければ、同女の死亡の結果について被告人に刑事責任を問うことはできないと解すべきところ、前述のとおり、死体の鑑定結果によるとAは被告人の退室後二時間程度しか生存していなかったことがうかがえるうえ、司法警察員作成の検視調書、医師藤岡隆男作成の死亡診断書(死体検案書)によれば死亡推定時刻は午前三時ころとされていること、同女の死体が発見された際、死体の位置、姿勢は被告人らが立ち去った時とほとんど変化がなく、同女の額の上に乗せられた濡れタオルがずれ落ちておらず、かぶせられた浴衣もほとんど乱れていなかったこと等の事情が認められ、そうすると、同女は被告人らが立ち去った後すぐに死亡したのではないかとの疑いを払拭することができず、さらに、森田鑑定及び金子鑑定も、同女が適切な救急措置を受けておれば救命された可能性を否定することができないとはするものの、現実にどの時点で医師の診察・治療を求めておれば確実に救命することができたかについては、正確な意見を述べることはできず、逆に同女の死亡の可能性も否定できず、現実の救命可能性が一〇〇パーセントであったとはいうことができないともしており、そうすると、同女の死亡は被告人が遺棄行為によって与えた危険が現実に具体化した結果であるとは断定しがたく、被告人の遺棄行為がなく、同女の異常な言動が発生した後直ちに医師の診察・治療が求められたとしても同女は死亡したのではないかとの合理的な疑いが残るといわざるを得ない。

四  結論

そうすると、本件保護責任者遺棄致死の訴因のうち保護責任者遺棄の事実については証拠によってこれを肯認することができるものの、右遺棄行為とAの死亡との間の因果関係の存在については、その証明が十分でないと言わなければならず、被告人は保護責任者遺棄罪の限度で刑事責任を負うべきである。

(一部無罪の理由)

第一  公訴事実と争点

被告人に対する昭和五八年八月一六日付起訴状の公訴事実第一の要旨は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五八年五月四日ころ、札幌市北区北四〇条西五丁目三二八番地一五所在のホテルロイヤル朋の二〇三号室において、Bに対し、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・〇三グラムを無償で譲り渡したものである。」というのである。

被告人は、右公訴事実を否認し、譲受人とされているBが譲り受けた日時として供述する昭和五八年五月三日夜から翌五月四日早朝にかけて自分は自宅におり、ホテルロイヤル朋に行ったようなことはないと供述し、弁護人も、被告人の右供述を前提として、第一二回公判調書中の証人Bの供述部分(以下「B証言」という。)は信用性がなく被告人は無罪であると主張する。

第二  当裁判所の判断

本件公訴事実に沿う直接証拠としてB証言が存在するところ、右B証言が本件公訴事実を認めるべきかどうかを左右する重要な証拠であると思われるので、まずその信用性について検討する。

右B証言の要旨は、「昭和五八年五月二日被告人に誘われ、被告人ほか四名とともに北見市に行き、旅館で一泊して翌三日夕方ころ札幌市に戻り、同市西区発寒一一条五丁目にある市営住宅の自宅に帰ったが、その日の夜、自分の愛人の谷岡保のことで被告人の呼び出しを受けて午後一〇時ころホテルロイヤル朋に行き、同ホテルの二〇三号室において、被告人から、まず覚せい剤を注射してもらった後、五月四日午前零時ころ、小さいビニール袋に入った約〇・〇三グラムの覚せい剤をもらった。その後、同日午前四時ころ同ホテルを出る時に、右覚せい剤の中からその三分の一くらいを被告人に注射してもらった。そして、五月六日自宅において右もらった覚せい剤の一部を使って自分で注射し、残った覚せい剤は流しに流して捨てた。」というものである。

これを裏付ける証拠として、B作成の尿の任意提出書謄本、司法巡査南部秀雄作成の昭和五八年五月九日付右尿の領置調書謄本、B作成の尿の所有権放棄書謄本及び鑑定承諾書謄本、司法警察員作成の昭和五八年五月九日付鑑定嘱託書謄本(北鑑第一八二号のもの)、北海道警察本部刑事部科学捜査研究所化学科技術吏員長谷川長俊作成の昭和五八年五月一六日付鑑定書謄本(北鑑第一八二号に対するもの)、石川四郎扱いの六月二三日付電話聴取書及び司法警察員田中政昭作成の捜査報告書があり、これらによると、昭和五八年五月二日午後一一時ころから同月三日午前一〇時三〇分ころまでの間被告人を含む五名の男女が北見市内のホテル銀河に宿泊したこと、同月九日Bが任意提出した同女の尿中から覚せい剤が検出されたこと、したがって、右Bが同日以前に覚せい剤を使用したことを認めることができる。

また、被告人の検察官に対する昭和五八年五月三〇日付供述調書の中には、「(被告人が)五月三日か四日の夜、Bをホテルロイヤル朋に呼び、谷岡保の行き先を尋ねたことがあるが、この時二人で自分の覚せい剤を使用し、更にBが自分で使用する分として一回分をBに譲渡した。その量は、警察において示された見本によると〇・〇三グラムくらいと思う。」旨供述している部分があり、右B証言と大筋において一致している。

してみると、本件公訴事実に沿うB証言は、その内容に具体性があり、特に、譲渡の際被告人は「B、おまえだったらこれで二、三回できるべ。」と言っていたなどと、実際に体験した者でなければ語ることができないような臨場感を伴った供述部分をも含んでいること、及び同女があえて被告人に不利な虚偽の事実を供述する特段の理由もないこと等に照らし、一見するところその信用性は十分であるかのように見受けられ、本件公訴事実が認められるかのようであるが、なお検討すると次のような問題点を持っていることを否定することができない。

第一に、右B証言は、譲受けの事実自体は詳細かつ具体的であるものの、日時場所の詳細については、譲り受けたとされる日時から同女に対する証人尋問の行われた昭和五九年一〇月一二日までに約一年半経過しており、そのために記憶が減退したであろうことを考慮しても、北見から帰った日の午後一〇時ころホテルロイヤル朋に行ったと断定的に述べている部分以外は極めてあいまいであり、とりわけ、宿泊したホテルの部屋番号、譲り受けた時刻、譲り受けた覚せい剤の量、ホテルを出た時刻のいずれについても、検察官の質問に直ちには答えられず、検察官の誘導により、以前検察官に対して述べたことならそれに間違いないとして供述されたものにすぎないうえ、これらを特定した根拠につき何ら触れるところがない。そして、弾劾証拠として取り調べたBの司法警察官に対する供述調書三通によると、同女は、昭和五八年五月六日自宅において覚せい剤を自己使用したとの被疑事実で逮捕された当日である昭和五八年五月九日以降一貫して、最終使用に供した覚せい剤は被告人から譲り受けたものである旨供述しているものの、五月九日の取調べにおいては、譲受けの日時場所を「五月三日ホテルロイヤル朋の二〇二号室」と具体的に供述する一方、譲り受けた量については一センチ四方のビニール袋入りのもの一個と供述したほか全く触れていなかったところ、五月一八日の取調べにおいては譲受けの場所を何の説明もなく「ホテルロイヤル朋の二〇三号室」と変え、譲受けの日時を五月三日午後一〇時三〇分ころであると特定し、その根拠について「私は午後一一時までに家に帰るつもりでしたからゆっくりするつもりはなく、午後一〇時三〇分ころ二〇三号室に入ってすぐに覚せい剤を打ってもらってすぐに覚せい剤をもらったのでこの時刻を覚えているのです。」と一応の説明をし、譲り受けた量につき覚せい剤の見本図を示されて約〇・〇三グラムと特定し、自ら覚せい剤の入っていた袋の形状等について略図まで書いて説明したのに、八月四日の取調べにおいては、ホテルロイヤル朋に行ったのは北見から帰ってきた日であることを初めて述べたうえ譲受けの時刻及び譲り受けた量につき何の説明もなく「五月四日午前零時ころ約〇・三グラムに間違いありません。」とそれまでとは異なった供述をするなど(ちなみに、八月四日付の供述調書は被告人の本件事件の捜査にも関与した司法警察員加藤広明によって録取されたものである。)供述を著しく変転させていることが認められる。さらに、B証言によると、同女は本件までの間に被告人から覚せい剤を譲り受けたことも、ホテルロイヤル朋に被告人と同行したことも複数回経験しているとうかがわれることをも併せ考えると、B証言のうち、譲受けの時刻、譲受けの量、及びホテルの部屋の号数に関する部分の信用性には多大の疑問が存すると言うべきである。

加えて、追越若松作成の任意提出書(写し)及び司法巡査渡辺伸夫作成の昭和五八年五月一六日付領置調書(写し)によると、本件から間もない昭和五八年五月一六日にホテルロイヤル朋の経営者から警察官あてコンピューター・レシート一綴(昭和五八年押第二五三号の26)が任意提出されているところ、これによると、昭和五八年五月三日から同月四日にかけてホテルロイヤル朋の二〇三号室が使用されたのは午後一〇時四分から午後一一時二六分までとしか記録されておらず(Bの捜査段階における五月一八日の供述は、この事実を基にしてなされたものではないかとうかがわれる。)、五月三日午後一〇時ころから五月四日午前四時ころまで同室にいたことを前提とするB証言は右記録と矛盾するものである(なお、検察官はホテルのコンピューター記録の正確性には若干の疑点がある旨主張するところ、前記コンピューター・レシートを見分すると、機械的な印字の上に「まちがい」と手書き記入された部分が存するなど、同レシートの記録を絶対視するのはいささか危険であるといわなければならないが、前記のとおり捜査機関は同レシートを本件から間もない昭和五八年五月一六日に入手しているのであるから、その正確性を検証しようとすればその機会は十分にあったにもかかわらず、記録の正確性について検察官側から何らの補充立証も行われないことを考えると、同レシートの記録は一応正確なものであることを前提として検討せざるを得ない。)。

以上のとおり、Bの捜査段階における供述が取調べごとに著しく変転しているうえに、取調べが進むにつれて供述内容が次第に具体的になっていっていることから、取調官に迎合してなされたものではないかとの疑いもあり、B証言は、このような背景のもとになされたものであって、さらに、同証言及び各供述調書によると、Bは被告人から覚せい剤を譲り受けたことも、ホテルロイヤル朋に被告人と同行したことも複数回経験していること、他にも覚せい剤を打ってもらう相手が存在していたこと、被告人から譲り受けた覚せい剤の一部が存在しないこと(この点について、Bは使った残りは流しに流した旨述べているが、同女は覚せい剤に対する親和性の強さから考えると、捨てる理由に乏しく、その点についての供述も納得しがたいものである。)、前記コンピューター・レシートの記載と矛盾することを併せ考えると、B証言は信用性が低いと言わざるを得ない。

もっとも、前記コンピューター・レシートによると、二〇七号室が五月三日午後九時三九分から五月四日午前三時二分まで使用された事実をうかがうことができ、譲り受けた場所は二〇三号室ではなく、二〇七号室であったのではないかとの疑いが存しないものでもない。また、B証言は、覚せい剤を譲り受けた時刻について右のとおりあいまいであるほか、一人でホテルロイヤル朋を出たと言いながら、その前に被告人から覚せい剤を注射してもらったとも述べていて、同ホテルにおける二度目の覚せい剤使用の状況についてもあいまいであり、同女が同ホテルに赴いた理由から考えて六時間も同ホテルに被告人とともに留まる理由は何もないのであるから、前記同女の昭和五八年五月一八日付司法警察員に対する供述調書の記載のとおり覚せい剤を譲り受けたのは五月三日の午後一〇時三〇分ころであり、その後退出したものと考えるならば前記コンピューター・レシートとも矛盾しない。

しかしながら、本件公訴事実における犯行日時は「昭和五八年五月四日ころ」と一定の幅を持った記載になっているが、犯行場所は「ホテルロイヤル朋の二〇三号室」と極めて限定された記載をされているところ、公訴事実に沿う最も有力な直接証拠であるB証言によれば、その日時は同女が被告人とともに北見から帰ってきた日であることが証拠上明らかな昭和五八年五月三日の深夜の同月四日午前零時ころである旨を、その場所はホテルロイヤル朋の二〇三号室であることとともに検察官の誘導によって述べられているのであるから、検察官の立証すべき事実はB証言により特定された日時場所における譲渡事実に限られ、裁判所がその存否を確定すべき事実もまた右事実に限られるものと言わなければならない。

第三  結論

以上によると、本件公訴事実を認めるべき証拠として被告人の捜査段階における一応の自白があるものの、右自白を裏付けるB証言については前記のとおり信用することができないものであり、他に右自白を裏付ける証拠がない以上、右自白の信用性を検討するまでもなく、右公訴事実の存在については、合理的な疑いを容れる余地があるものと言わざるを得ず、結局、右公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをすることとする。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五二年三月一六日札幌地方裁判所において覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年八月に処せられ、昭和五三年九月一六日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した同罪により昭和五四年八月三一日同裁判所において懲役一年二月に処せられ、昭和五五年九月三〇日右刑の執行を受け終わり、(3)その後犯した同罪により昭和五六年一二月二四日札幌高等裁判所において懲役一年六月に処せられ、昭和五七年一〇月一一日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は、被告人の司法巡査に対する供述調書、検察事務官作成の前科調書並びに右各裁判の判決書謄本及び昭和五六年九月一〇日付判決書謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項二号、一七条三項に、判示第一の二の所為は同法四一条の二第二項、一項二号、一七条三項に、判示第一の三の所為は同法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第一の四の所為は刑法六〇条、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第二の所為は刑法二一八条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一の二の罪について所定刑中懲役刑を選択し、右各罪は前記各前科との関係でそれぞれ四犯であるから、いずれも刑法五九条、五六条一項、五七条により(判示第一の二の罪については同法一四条の制限内で)四犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中七五〇日を右刑に算入し、訴訟費用中証人南部秀雄、同坂巻晴基、同工藤英夫、同妹尾和明、同渡辺伸夫、同石井芳美、同岡島孝明、同川合明、同清水かつ枝、同加藤広明、同近藤明嗣、同上ケ島由美子、同小山幸夫及び同高山勲に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、覚せい剤の常用者である被告人が、わずか一日のうちに、覚せい剤の無償譲渡一回、営利の目的による有償譲渡一回、自己使用一回、他人への使用一回の各罪を次々と重ね、その挙げ句、自己が多量に覚せい剤を注射使用したことが直接の原因となって、当時未だ一三歳の中学二年生であった少女が、いわゆるラブホテルの一室内で、しきりに苦痛を訴え、錯乱状態となって部屋中を暴れ回り、ついには倒れたまま動けなくなるなどの状態に陥ったにもかかわらず、かかる事態を目の当たりにしながら、同女を保護すべき責任を果たさず、これを見捨てて苦悶する同女を室内に放置したまま同室から立ち去ってこれを遺棄したというそれ自体極めて犯情悪質な事案であるが、被告人は成人に達する前から暴力団組織に身を投じ、これまでに傷害、恐喝等の粗暴犯をも含め懲役刑の前科七犯を有し、合計一三年間も服役した経歴を持つ暴力団幹部構成員であって、既にそのことからだけでも顕著な反社会性がうかがわれるばかりか、昭和四九年以降は立て続けに覚せい剤取締法違反の罪を犯し、本件と累犯関係に立つ同種前科は三犯を数えるなど、覚せい剤の害悪は十分に認識していたはずであるのに、前刑を終えて出所した後、さしたる反省の態度も見せず再び覚せい剤に手を出し、あまつさえ、覚せい剤を道具にして年若い女性と性交渉を持つことを繰り返していたことがうかがわれるものであって、本件もこのような被告人の覚せい剤との深いかかわりの中で犯されたものであることを考えると、被告人の刑事責任は重大である。加えて、判示第一の四の犯行は、いかに承諾を得たといっても、一見して未成年とわかる少女を相手に、自己の性的な欲望を満たすため、覚せい剤を使用したものであり、また、判示第二の犯行は、自己の行為が原因となって惹起された他人の生命身体の危険な状態を回避する適切な措置を取らずに自己の覚せい剤犯罪の発覚を恐れてその場から逃げ出したものであること、遺憾ながら、公判廷において自己の覚せい剤との深いかかわりをむしろ誇示するかのような態度をとり、覚せい剤にかかる犯罪についての真剣な反省の情に乏しいとみられること等に徴すると、規範意識の欠如も明らかといわなければならず、被告人にはこの際相応の刑をもってその罪を償ってもらうしかない。しかしながら、前記で説示したとおり被害者の死の結果について被告人に法律上の責任を問うことはできないこと、公訴事実の一部につき犯罪の証明がないこと、被告人は捜査段階においてAの死を悼む短歌を作って取調官に差し出したり、当公判廷において同女の死を悔やむ態度を示すなど反省の情を見せていたこと等の事情も存するので、以上を総合考慮して、主文掲記の刑を相当と思料した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 懲役八年)

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